前 | 2011年 9月 |
次 | ||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
_ 現在、Outlook2010を使用しているのですが、Outlook2007を使い始めた頃から、クライアントより『添付ファイルが届かない』と連絡が来ることが稀にあり、困っていました。
_ ちょっと調べてみると、どうも、受信側のメーラーがOutlook Expressだと起こる現象のようで、Outlook研究所というサイトに、詳しく解説が記載されていました。
_ なるほど、なんとか回避策はあるようですね。試してみることにしようっと。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110916k0000m040102000c.html |
_ 明応東海地震:標高36メートル超まで津波 室町時代発生_ 室町時代の1498年に発生した大地震「明応東海地震」で、古文書の記録や伝承から、静岡県沼津市で津波が斜面を駆け上り標高36メートルを超える地点まで達していた可能性があることが15日、東京大地震研究所などの調査で分かった。 静岡県は東海地震の津波被害の想定として1854年の安政東海地震を目安としているが、東大地震研の都司(つじ)嘉宣准教授は「明応東海地震の津波の高さは安政東海地震の3~4倍あり、防災指針を見直すべきだ」としている。 国の地震調査研究推進本部によると、明応東海地震は東海沖から四国沖の海底にある溝状の地形「南海トラフ」沿いに起きた大地震。マグニチュード(M)は8.3程度で、津波が紀伊半島から房総半島まで達したとされている。 都司准教授によると、寺院が記録した古文書などにより浸水場所を調査し、現地で測量。明応東海地震では、沼津市戸田の集落の「平目平」と呼ばれる地点まで津波が到達したとの伝承があり、標高を測定すると36.4メートルだった。平目平という地名も、当時の津波でそこまでヒラメが打ち上げられたという言い伝えに由来するという。 また中部電力浜岡原発(同県御前崎市)から30~40キロの磐田市掛塚でも標高10メートルの場所まで浸水した可能性があった。 都司准教授は「今後、津波によって運ばれてきた海の砂の層がないか調べたい」としている。16日から新潟市で開かれる歴史地震研究会大会で発表する。 _ 毎日新聞 2011年9月15日 21時09分(最終更新 9月15日 21時11分) |
_ こりゃすごい。大津波が発生すると、場所によっては35メートル以上もの場所にも波が達するとか。こういうことが古文書や伝承から判明するというのが興味深いところです。
住み処を構えるのなら、標高は40メートル以上はあったほうが安心ですな。
_ さすがに我が事務所周辺は、標高が130メートルくらいあるようで、ちょっとやそっと海面が上昇しても余裕です。まぁ、八王子ですから。
_ 都心のほうでも、昔ながらの高級住宅街というのは《高台》にあることが多い気がします。先人たちは“住むのに適した場所”というのを知っていたんでしょうね。
海面が上昇した場合に水没する場所がわかります。
住所を入力すると、その場所の標高がわかります。
記載内容に関しては万全を期しておりますが、その内容の正確性および安全性を保証するものではありません。