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先日、のび太の《日記》のお話をいたしましたが、そういえば、私は子供のころ、隣に座っていたメグミちゃん(仮名)の日記を覗いて怒られたことがあります。
「ちょっとぉ!人の日記見るなんて、サイッテー!!」
そして、ワラワラと他の女の子たちまで集まってきて私のことを責め立てました。
別に見ようと思って見たわけではなく“たまたま目に付いた”というのがコトの真相なのですが、彼女たちにとって、そんなことはどうでもよかったのでしょう。
責められながらもヘラヘラと笑っている私を如何にして屈させるか、それに全身全霊を傾けていたようでした。
彼女たちは
オザワ⇒人の日記を見るようなヤツ⇒サイテー
という図式で私を責めてきましたが、彼女たちのその認識には、大きな誤りがありました。
なぜなら、私は、
人の日記を見るようなサイテーなヤツ
なのではなく、
人の日記を見なくてもサイテーなヤツ
だからです。
そこに気づかなかった彼女たちに勝機は無かったわけですが、当時の私も正気では無かったかもしれません。
さて、確かに人の日記を盗み見するような行為は、褒められたものではないでしょう。
ところが、古典の世界では土佐日記や蜻蛉日記など《日記文学》というものが一つのジャンルとして確立しているわけでして、《人の日記》というものがこぞって読まれています。
そうすると、日本人の多くは《サイテー》なのか、ということになるワケですが、そもそも、こういった日記というものは何のために書かれたのでしょうか?
ひょっとしたら、最初から人に読ませるために書かれたのではないか?
そんな疑問が、ふつふつと沸いてきたのです。
で、困ったときは、グーグル先生に訊いてみよう、ということで検索をしてみますと、私と同じような疑問を持った方が既に居たようで、ここに、質問と回答が記されていました。
Yahoo!知恵袋 |
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1441975619 |
【回答】 |
ふ~ん、そうなんですねぇ。人に読ませるために書かれていたワケですか。
いやはや、年の初めに、また一つ賢くなりましたね。
まさか、のび太の「朝起きて昼寝して夜寝た」を発端にして、日記文学にまで話が広がるとは。
ところで、ふと思ったんですが、私はここのブログ、一体ナンのために書いているんでしょうかね・・・??
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